こんにちは。
いつも見に来てくださり、有難うございます。
前回の記事〜愛鳥塾:「考えておきたい「やがて来る」と「万が一」」へ行って来ました:3〜で、私が愛鳥塾で見聞きした一連のお話と感想については、終了させていただきました。
こちらの、1から始まった一連の記事には、沢山の共感のメッセージを寄せてくださり、心から感謝しています
。
勿論、色々な考え方がありますから、共感ばかりではないとも思っています。
私自身、これまで色々なご意見に直接見聞きし、触れて来ました。
そんな、色々な方から寄せられたメッセージ、あるいはご意見に触れて、改めて私自身考えさせられた事・気付かされた事が幾つかありました。
これまで書きたいと思いつつ、なかなか書く事が出来ずにいた事柄でもありました。
前回の記事最後でもお伝えしていましたが、今回は、そうした事柄を少しだけ(?)、私の思う事として書かせていただきたいと思います。
本当はもっと早くに公開する予定でしたが、なかなか自分の伝えたい事を文章にする事が難しくて、幾日も経ってしまいました
。
今回、1回でこの記事を終わらせたいと思ってます。
その為、一気に書かせていただきました。
これまで以上にかなり長くなっています。
ゆっくり・お時間のある時に・休み休み読んでいただけましたら幸いです
。
こちらはあくまでも、寄せられたメッセージや、私が直接見聞きして来た不特定のご意見を通して感じた事・思う事です。
人それぞれ考えがある繊細な事だとも思いますので、「そういう考え方もあるよね」という感じで捉え・読んでいただけましたら幸いです。
不快に思われた方は画面を閉じてくださいね。
●ペットロスは後悔と自責の念から起こるもの?:
私は愛鳥塾:2の記事の中で 、「万が一」が訪れた時に起こる感情の「一つ」として、「よく抱く気持ちは、「あの時こうしていれば良かった」「もっとこうしてあげていれば良かった」と言う事かも知れません。それが、後悔にも・ペットロスにも繋がる気持ちかも知れないですね・・・。」と書かせていただきました。
ですが、後悔や(自分を)責める気持ちだけが「ペットロス(症候群)になる」、とは私は思っていません。
●ペットロスは「ペットを失うという事」:
「ペットロスになる人は、「やがて死ぬという現実を理解していない。」」「覚悟が足りない。」という考えをお持ちの方がおられました。
そういう考え方もある、あるいはそう言う人もいるかも知れませんね。
ペットロスについて、こちらのサイトでは、
文字通り「ペットを失う事」である。
ペットを失うと、様々な心身(精神的・身体的)の症状が起こる。これは、ペットと共に過ごす事によって培われた深い愛着・愛情が、突然に訪れるペットの「死」や行方不明などによって行き場をなくしてしまうことによって、引き起こされる症状だと解されている。〜
ペットロス症候群とは、ペットとの別れなどというストレスが契機となって発症した精神疾患(症候群≒病気≒疾患)を言い、精神症状に付随して身体症状を伴う場合も少なくない。
と書かれていました。
前回の日記冒頭でも書かせて頂きましたが、「愛鳥塾:2」〜「愛鳥塾:3」更新までの数日の間に、私の鳥友達や知人・いつもブログを見せていただいている方々のお宅で、大切な愛鳥さんとのお別れが、5件ほどありました。
中には、ヒメウズラの女の子で5歳半(ご長寿になります)という鳥さんもおられました。
そうした方々を含め、寄せられたメッセージの中で、特に印象に残った共通の言葉があります。
「分かってはいたけれど、もう少し一緒にいたかったです。」「覚悟していたけれど、やっぱりその時を迎えると寂しいですね。」「一緒に過ごした日は忘れません。」「懐かしく思い出します。」
大抵の人は、命あるものはいずれ死を迎える事を知っています。
残念ですが、別れは人でも鳥でも、生きている限りどんな命にも起こる、避けられない共通の出来事です。
分かっていても、覚悟していても抱く色々な感情。
特にそれが、予想よりも早く、あるいは想定もしていなかった突然の出来事であれば、なおの事気持ちが追いつかず・整理が付かずに抱いてしまう気持ちだと思います。
●悲しい・寂しい・辛い・喪失感という気持ちを抱くのは・・・:
先に書かせていただいた、愛鳥を亡くされた方々が言われていた言葉。
「もう少し一緒にいたかった。」「一緒に過ごした日を忘れません」。
この言葉そのままだと思います。
例えば人であっても、身近な存在である家族・友人知人との別れを経験する事がありますよね。
転校・転勤・入院・進学就職結婚に伴う移転等々、色々なお別れがあります。
私自身、こうした別れを沢山経験して来ました。
残念な事柄は勿論、喜ばしい出来事でのお別れであっても、あるいは「またいつでも会える・連絡を取り合える」と思っていても=それが永遠のお別れでは無くても、「その時の出来事」は、時に悲しくも・寂しくも・残念に思う事は、誰にでもあるのではないでしょうか。
愛鳥家にとって、鳥はペットではなく家族の一員です。
出会いから成長・別れに至るまでのそれぞれの時を、家族である愛鳥と色々な・沢山の時間を過ごして来ました。
その中には辛い事・悲しい事もあったと思います
でも、確かに楽しい事・嬉しい事・幸せな事も沢山ありました。
そんな日々を、これからも一緒に過ごしたいという想いがあります。
それが、もうどんなに努力して・願っても叶わない、家族との最期(永遠)のお別れとなれば・・・。
分かっているけれど・覚悟していたけれど、そんな理屈で片づけられるものでは無い。
それが突然の出来事であれば、なおの事。
人によって、その喪失感は計り知れない、辛い気持ちが起きてしまっても仕方のない事ではないでしょうか・・・・。
ペットロス=「愛鳥を失う」という事は、後悔や自分を責める気持ちだけが起こすものではない。
これから先ずっと、愛鳥とは「一緒に過ごす」事が出来なくなってしまったという事。
一緒に過ごして来た命が、自分の目の前からいなくなってしまったから悲しい。
ずっと続くと思っていた時間が、明日からはもう訪れる事がないから寂しい。
一緒に過ごしていた時間、その一瞬一瞬が愛おしくて・どれ程貴重なものであったかを苦しいほど分かっているから辛い。
最期がどんな形であったとしても、願ってももう叶う事のない、家族との愛おしい時間との永遠の別れだと分かっているからからこそ抱く気持ちなのではないかと、私は思います。
●ペットロスは何かの罰で起こる事?:
「ペットロスを繰り返す人は何度も同じ過ちを繰り返す人。」「経験から・アドバイスから学ばない人。」「後悔するんだったら飼わない方がよい。」「ペットが可愛そう。」
そういう方もおられました。
考え方は人それぞれ、本当に色々な考え方があると思いますね・・・。
勿論、実際に悔しくも辛いお別れをされた方もおられる事でしょう。
私もこれまで、そんなお別れがありました。
これまで以上に「ああしたら。こうしていたら」と思う事もありました。
例えば、闘病中の愛鳥にどんな治療・介護をするのか。
どこの病院へ連れて行くか・行かないか、検査をして貰うか・しないか、どんな薬を使い・使わないか、自宅で介護をするか・入院させるか、手術するか・しないか。
色々な選択肢があって、どうしたら良いのか、飼い主さんが迷って決めなくてはいけない事は沢山あると思います。
時にその選択は、他の人から見ると「どうしてそんな選択を。」「こうすれば良いのに」と思う事があるかも知れません。
時に「こうしたら?」とアドバイスしたり、「私だったらこうする。」「こうすべき。」と言いたくなる事もあると思います。
あくまでも「提案」、「適度な」アドバスをする事自体は良いと思います。
また、明らかな虐待や飼育放棄・防げたかも知れない事故等々、全てを正当化している訳でもありませんよ。
鳥友達がお世話になっている獣医師は、友人にこう言われたそうです。
「私達獣医師は、いつも・ずっと、鳥さんのそばにいる訳ではありません。鳥さんの事を一番良く分かっているのは、ずっと一緒にいる飼い主さんです。私達(獣医師)は、飼い主さんの代わりにはなれません。獣医師はあくまでも、飼い主さんと鳥さんの手助けをするだけ、そう思っています。」
とても印象に残ったお言葉でした。
私は、獣医師が提案した選択肢のどれを選択するか・誰のどんなアドバイスを聞くか、どんな方法を選ぶか等々は、その人(とご家族)が愛鳥との間で決めて欲しいと思っています。
「自分はそうしたい。」と思って決めた事柄を、それぞれが納得する方法でされて欲しい思います。
勿論、住んでいる地域により、鳥を診てくれる病院が限られる等、そうする事さえも難しい飼い主さんもおられる事と思います・・・。
その鳥さんの事を一番良く分かっているのは飼い主さん。
愛鳥の事を誰よりも想っているのも飼い主さん。
飼い主さんが一生懸命迷って決めた事は、愛鳥のために、「その時」出来る精一杯、最善と思える事柄。
自分が納得しない方法を、人に言われて選んだ末に、まだ良い結果になれば「終わり良ければ全て良し」と、言えるのかも知れません。
ですが、もし残念な結果になったら・・・。
相手を責めるかも知れません。
それ以上に、「やっぱりこうしていれば」と、自分を責めるかも知れません。
「自分で選んだのでは無い事柄の結果」ほど、後悔も責める気持ちも強くなるのでは無いかと、私は思います。
時にその結果を、「だから言ったのに。」「自分が選んだ結果なのだから後悔しないでしょう?」「自業自得。」「自分の出来る事をやり切れていないから後悔するんです。」、と言う人もおられます。
「人のアドバイスを聞かず、長生き出来るはずの鳥を死なせてしまった事もまた、ペットへの虐待だ」と言われる方もおられました。
本当に色々な考え方がありますね・・・。
私は、「愛鳥塾:2」の繰り返しになりますが、「「何が正解で間違いかと言う「正しい答えは無い」」。
もう1度、今度はそのアドバイスに従ってお世話する=それが正しかった、という検証は出来ない。
どれを選択して・どういう結果になるのかは、実際に行なってみないと分からない難しい事だと思います。
(100%完治する、とても確実で素晴らしい方法を拒否した、と言うのであれば別ですが。)
少なくとも飼い主さんが、自分の愛鳥のためにどうしたいか・どうしてあげたいか、迷って沢山考えて選択して決定した事。
ずっと一緒に生活して来た飼い主さん(とご家族)だけが出来る事。
結果、後悔や自分を責める気持ちが起きたとしても、それはペットロス=「愛鳥がいなくなった」事から来る気持ち。
ペットでも、人(の家族)身内や友人知人であっても、共通に起り得る気持ち。
「その時」どんなに最善だと思えても・、「もう出来る事は全てやりきった。」と思えたとしても、再び訪れる事の無い悲しい永遠のお別れだから・・・。
自分の行動や選択の結果、愛鳥を亡くしたという何かの責めや罰ではない。
現実から目を逸らした・何か悪い行いの結果でも・自分を責めるものでも結果でもない。
他人が責めるものでもない。
どんな形であれ、「いつか」「万が一」は避けられない事柄だけれど、1秒でも・1分でも・1時間・1日でも・ほんの少しでも、長く一緒にいたいという想い、それだけ大切で愛おしい・かけがえのない存在だからこそ、悲しい・寂しい・辛いという想いにも・責めてしまう気持ちにもなってしまうのだと、私は思います。
今回メッセージを寄せてくださった方々を含め私自身も、極端な言い方をすれば「不幸な別れ方」をしたから寂しい・悲しい・辛い・後悔・責める=ペットロスになるのではなく、愛おしく大切な存在がいなくなってしまったからこそ、誰もが抱きえる気持ち・喪失感だと感じました。
「ペットロス=ペットを失う事が嫌なら飼わない方が良い。」「私はペットロスになりたくないから・耐えられないので飼いません」
と言う方もおられました。
それで気持ちが落ち着く人もいる事でしょう。
私の周りには、そういう選択をされた方々もおられます。
人それぞれ、色々な考え方がありますね。
勿論、「やりきった」と思えれば、それが良いかも知れませんね。
後悔の気持ちや喪失感よりも、スッキリした気持ちが大きい方が、気持ちも幾分軽くて、心の整理も立ち直りも早いかも、とは思います。
続きを読む