注)今回は複雑事情のある写真が複数枚掲載されています。
かなりの長文になっていますので、ご了承くださいマセ・・・。
こんにちは。
前回日記を更新して以来、ずっとくららちゃん・パルちゃんの介護に忙しくて、なかなか日記を書く事が出来ませんでした。
ようやく少し落ち着いたので更新を〜と思っていた矢先、皆様にお知らせしなければならない出来事が・・・。
これまでずっと長い間【愛鳥闘病記】を書き綴り、応援して貰っていたジャンボセキセイのくららちゃんが、先日11/22日(土)、お昼位に息を引き取りました・・・。
享年10歳8ヶ月と1日。
かかりつけ医には腫瘤が初めて見つかった時に、「こうした腫瘤を持つ子は大体1年。まれに長かった子で1年半生きた子もいます」と余命説明を受けていました。
その言葉通り(?)腫瘤が初めて見つかってからはほぼ1年半、本格的な治療が始まってからは(ブログでは昨年12月から本格的に闘病日記を書き始めていますが、本当はブログ休止中の10・11月からになります)ほぼ1年丁度の闘病生活の末の、大往生・寿命・逝去でした・・・。
↑沢山ナデナデして・「頑張ったね」と声をかけてお別れをして、でもどうしてもお別れする事が出来なくて、1日そばに置いておいた時の写真です。いつもいるその場所・姿のままなのでまるで生きているようで、ますます別れがたくなってしまいました・・・。
けれど、あまり日が経ってから書く事もまた出来ず、今回ご報告する事となりました。
ここ数日、鼻に鼻水が溜まってグジュグジュしていたので、体調を考慮しつつも呼吸が苦しくならないように、主人に保定をお願いして少しだけお鼻の洗浄と鼻の穴を広げる補助をした日でもありました。
ケージ掃除が終わった後は、私の手の中でお気に入りの姿勢になり(自主的に手の中でこの姿勢になります)大好きなコリコリをずっとしてもらいながら目をつぶってうっとり状態。(いつまでも続きます。)
↑亡くなった後、最後に〜と、コリコリされている姿を再現した写真です。生前に動画を撮っておけば良かったです・・・。
その後いつも通りケージに戻したくららちゃん。
↑移動するだけの筋力が無くなっていたのかな・・・?今思い返せば、亡くなる数日前からこのブランコで寝ている事が多かったくららちゃんでした。上の方(くららちゃんから見れば右側)にある、それまでずっと定位置だったもう一つのピンク色のブランコ(リンク先はまだ完全リフォーム化していない頃のものですが)に行く事も少なかったような気がします。
ケージを鳥ラックの定位置に戻しても、食事量は少なかったものの自分でご飯を食べ、最近よくいる白いブランコの場所でくつろいだり、またエサを食べに行ったりの繰り返しでした。
↑こちらが最終的に落ち着いたくららちゃんの闘病用ケージです。ブランコをリフォームしたり・足場の移動段差を少なくしたり・・・。ギリギリまではピンクのブランコがお気に入りの場所でしたが、徐々に白いブランコの無かった場所で時々寝るようになったので、白いブランコを追加したのは11月に入った頃と最近です。
その時何気なく、ここ数日間気になっていたくららちゃんの状態を相談させて頂こうと、かかりつけ医の診察時間30分前・電話相談受け付けの時間だったので電話させて貰いました。
いつもは受付時間のタイミングを少しでも逃すと30分ずっと繋がらない状態が続いて診察時間が始まってしまうのですが、今回は診察時間ギリギリ5分前に繋がりました。
先生は私の話を全て聞いた後で、
- 「くららちゃんは闘病していなくても、ジャンボでは大往生の寿命で弱ってきていると思います。」
- 「いつお迎えが来ても不思議では無い年齢と状態です。」
- 「出来る事(ケージレイアウトのリフォーム・腫瘤カバー作成と軟膏薬治療・(最近は)時々にしたフォーミュラーの補助・排便の補助・食生活全般等々)は全てしておられるので、出来る事は、もう給仕を再開する事位しかない(食事の補助位)ですね・・・。」
- 「今日・明日にでもお迎えが来てもおかしくない状態だと思われた方が良いかもしれないです。」
- 「本当に良く頑張ってここまで来たので、そろそろ覚悟(心の準備)をしておいた方が良い時かもしれませんね・・・。」
と言われました。
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