いつも来てくださり、励ましや気遣いのコメント等も下さり有難うございます。
心から感謝いたします。
つい先日、チロルちゃんが関節痛風を発症・闘病する事になった事、また、即席日記で、チロルちゃんが点滴注射を受けた事を書かせて頂いたばかりではありますが・・・。
10月16日(日)、日付が変わる前の23時09分にチロルちゃんが永遠の眠りにつきました・・・。
享年12歳10ヶ月。
趾瘤症が見つかり・腎疾患用のペレットへの切り替え療法が始まってから約半年。
関節痛風が見つかり・本格的に痛風用の投薬治療を始めてから約1ヶ月半でした・・・。
以下、長い独り言になります。
関節痛風を発症した時点である程度覚悟はしていました。
(ミントちゃんという先例があったので)
寒くなって来た今時期を乗り越えられるかが一番の山場である事も、多分、本格的に寒くなる冬は越えられないだろう事も薄々分かっていました。
点滴注射をお願いした時点でそう先が長くは無い事も・・・。
点滴注射(輸液療法)をする〜と言う事は、私達にとっては「もうこれしか治療法が無い」という最後の選択肢でした。
それは食事療法でも投薬治療でも、腎不全の悪化(進行)を抑えられなくなったと言う事。
もう、自宅では出来る事が無くなった〜と言う事。
・・・それでも輸液療法で少しでも進行を遅らせる事が出来るのであれば〜。
痛みを少しでも和らげてあげられたら〜。
そうして意を決してお願いした輸液注射にチロルちゃんは耐えてくれて、一時的な点滴効果のお陰とは思いつつも、心配するほど元気な姿も見せてくれたのですが・・・。
(点滴の効果についてはまた後日書かせて頂きますね・・・。)
翌日から明らかに食べている姿を見せるの事が少なくなりました。
ずっと変わらなかったその姿も、初めて羽毛を膨らませ、「辛いの」と意思表示していました。
奥の止まり木(一番温かい所)から前の止まり木(餌・水がある所)へ、最後には床に伏せてジッと、ただただ目をつぶって眠っている姿を見て、「あぁ、いよいよかなぁ」と・・・。
最後にご飯とお水(薬)を口にしたのは亡くなる日のお昼過ぎ、15時半でした。
一口・二口だけれど頑張ったその食事が、チロルちゃんの最後の食事でした。
その後はずっと、ただただ床で目をつぶり・肩で息をしながら、時間が過ぎて行くのを待っているかのようでした。
声をかけても目を開けませんでした。
床に小さな餌・水入れをそっと置いても、あの「極度に怖がりサン」なチロルちゃんが、一声も「ギャ〜ギャ〜」鳴かないのです!逃げないのです!?
22時過ぎ〜とかなり夜間でしたが、動物病院の留守番電話に救急のメッセージを入れました。
もし、点滴をして貰えるのであれば、もしかすると・あるいは・・・。
22半を過ぎた頃、先生から折り返しの電話がありました。
状況をお伝えし先生とお話している間に、チロルちゃんの様子を見ていた主人が私を手招きします。
見るとチロルちゃんはもう、息が荒くて絶え絶え。
肩でハァハァ息をしていました。
足は心なしか力が入らず突っ張り出し、両翼を広げていて体を床に預け、ほとんど「うつ伏せで横たわっている」ー昏睡状態でした。
「あぁ、もう最後なんだ・・・。」
私:「もう、最後のようです。」「チロルちゃんの状態がどうなっても、朝(診察時間内に)またご連絡させて頂きます・・・。」
先生:「そうですか・・・。もし朝までチロルちゃんが頑張ってくれたら、また病院で点滴をしましょうね。」
電話を置く頃にはもう息は荒いけれどとても小さくて、体は呼吸に合わせて動く事もありません。
あんなに膨らんでいた体が凄く小さく見えます。
私達:「もう、ケージから出してもいいかな?」「そうだね、最後だけでもチロルちゃんを手に乗せて見守ってあげたいね。」
(・・・チロルちゃんは我が家に来て12年間、ずっと人に慣れない怖がりサンでした。爪切り等で保定する時以外は触れた事が無い鳥さんです。特に闘病生活に入ってからは、顔を見せただけで・餌等の交換をするだけで「ギャ〜ギャ〜」と鳴いて怖がる子でした(泣)・・・。)
主人がチロルちゃんに触れても、もうチロルちゃんは鳴きません。逃げません。目も開けません。
そっと私の両手に乗せると、主人がチロルちゃんの頭をナデナデ。
主人:「”チロルちゃんに触れる事が出来るのは、チロルちゃんが最後を迎える時だけだよね。”ーそう話していた”その時”が今なんだね・・・。」
私:「チロルちゃん、今までよく頑張ったね。」「家に来てくれて有難う。」「チロルちゃんがいてくれて幸せだったよ。楽しかったよ。」「痛かったね、もうゆっくり休んでね。」